「習慣だから」というのは簡単
先々週から始まった「参加型環境教育リーダー育成塾」の第2回目。先週はセマナ・サンタ(イースター)で、ぼくの両親が来ドしたこともあり、お休みでした。
まー、セマナ・サンタ明けの月曜に設定してたから「来ないだろうなあ」と予想してたら的中で、本日木曜に延期してました。
でも、今日も来ない。
大人だけが。
カッチーン!
どういう了見だ、と。
たまりかねてCPに質問しましたよ。
「テンゴ・ウナ・プレグンタ」(1つ、質問があります)ですよ!
ぼく:この国では、大人より生徒の方が賢いの?なんで、生徒はちゃんと時間通りに来て、大人はみんな遅刻なの?
CP:この国の習慣なのよ。みんな時間通りに来たくないの。
(注:「~したくない」を意味する「ノー・キエレン」を使った!)
ぼく:「習慣ていうのは簡単でしょ。大人が手本になる様な行動をしなくて、子どもがキチンと育つの?
CP:みんな仕事があって、約束があるの。
ぼく:生徒だって、「学校に行く」っていう約束があるでしょ?それを守ってる。
CP:仕事と学校は違うわ。
ぼく:大人の義務は働くこと、生徒の義務は勉強すること。義務には変わりないでしょ?約束があるって言うけど、この講座も約束だよね?
CP:生徒は先生が責任を持ってるから、ちゃんと来ている。
ぼく:1人1人の行動の責任は、それぞれが持ってる。大人も生徒も関係ない。
CP:わたしは違うわ!ちゃんと来てる。
ぼく:まあ、そうだね。
うーん。ちゃんとお知らせして集めるのはCPに任せてるんだけどな。そこを分かって欲しいしのと、大人がどういう行動を取るべきか、生徒の前でキチンと説明したかったから、敢えてキツ目に言ったのだけど。
結果、1時間遅れで始まり、2時間のところが1時間になりましたよ。生徒たちに申し訳ないったらありゃしない。
せっかくカカオを使ったワークショップまで用意してたのに。
なので、初めて「めちゃ怒ってる」と明言した。明日にでも、もう一度CPに説明しよう。
商売の基本とはなんぞ?
大人が子どもに手本を示せない習慣がまかり通る国・ドミニカ共和国。
チョコララに通ってて思うことがあります。
それは少しずつでも経済的自立に向けて進んでいるのは、やっぱり日々の仕事をキチンとしているから。時間を守る、ひいては約束を守る。これ、商売の基本です。
参加している15~17歳の生徒は、みんな公立校の子どもたち。大学に進学するか、社会に出て働くか、遠くない日に歩む道を決めます。だから、余計に大人の参加者はキチンとしてほしい。
なぜなら、この講座では「参加者自らが参加型環境教育をできるようになる」のその先に、地域の雇用(ガイドなど)を生み出すという目標を立て、共有しているから。
UMPCアルタミラが進めるエコツーリズムのなかで、ほかの地域とは違ったガイドができるように種を蒔いてます。
小学校3年から落第の可能性アリ?
そんな公立校に通う子ども達の多くの家庭が抱える問題があります。それは「毎年の学用品代」。
公立の学校には毎年買い替えなきゃいけない制服や靴、通学かばんが買えなくて学校に行くのをやめてしまう子どもも居る。
日本でももうすぐ入学シーズンでランドセルの問題があるみたいですが、それはドミニカでも同じ。平均年収40万円の家庭にとって、毎年15,000円の学用品代はバカにならない。日本では少子化で1人っ子のパターンが多いかもしれませんが、こっちは多産な国。当然、家計に占める割合も高まります。子どもが2人居れば7.5%の負担。おおう。
「どうして毎年買い替えるのか?」って思いました?
それは品質が悪いから。
どんなに丁寧に扱っても、平均的な値段のかばんは1年でダメになるんです。
では、「平均的な値段」が幾らか?と言えば2,500円くらい。5歳~14歳の9年間(幼稚園1年、小学校1年~中学2年生)が義務教育期間で公立は学費無料とは言え、年収から言うとやっぱり負担は大きい。
ちなみにドミニカでは小学校3年生から進級試験があり、当然、落第もある。学力はあっても学用品が買えずにやめてしまうパターンは、まさにこの国が抱える「子どもの貧困問題」の1つです。
いま、ドミニカ共和国で活動していた青年海外協力隊OGたちと、この国の貧困層の子どもたちへ通学かばんを贈るプロジェクトに取り組んでいます。
URL:http://paranino.wix.com/home#!project/p6efk
ぼくがこのプロジェクト参加を引き受けたワケ
日本の「子どもの貧困問題」は帰国後に向き合います。今は、この国にお世話になってるので、この国の、目の前の子ども達のために。
敬愛するOGに依頼されたってのもありますが、やっぱりね、チョコレートなんですよ。もっと言えば、チョコララ。これに尽きる。
ぼくはチョコレートが好きで、この先も美味しく食べていきたい。日本のチョコレートは確かに美味しいけど、混ぜ物もたくさん入ってる。それよりはカカオを育てた人、チョコレートをつくった人の顔が見えるものを食べたいなー、と思うようになった。日本で言う地産地消の感覚。
カカオ自体は赤道を挟んだ南北20度以内でしか育たないから、どうしても日本は輸入しなきゃいけないので、せめて把握できる部分は把握したい。
活動目標の1つに「フェアトレード」を据えた今、外部要因で学校をドロップアウトするかもしれない人材を少しでも減らして、如何に優秀な将来世代を育て、如何に持続可能なチョコレートを実現していくか?は大切な問題なのです。日本に帰っても、チョコララなりアルタミラなり、ドミニカのチョコレートを食べたいなと思っています。