造船所の男たち
ぼくの父方の祖父、父ともに造船所で働いていました。ぼくも30歳を前に造船所に就職し、5年ほど働きました。最後の1年ちょっとは現場で職人さんたちと一緒に働く日々。現場に配属された当初は何の資格もなく、たとえば「マンホールの枠、4つ持って来て」とか言われても手押しのリフトに1つ1つ手作業で載せて、ヨイショヨイショと持って行ってたワケです。重かった。唯一の武器と言えば、図面が読めるくらい。
そうこうしてるうちにフォークリフトや天井クレーンなどの操作資格を取らせてもらい、ものを運ぶくらいならできるようになりました。1日中、腰に安全ベルトと何種類かの工具をぶら下げて広い工場内をあちこち移動してました。ケータイの万歩計によると1日10km以上だったかも。
こんなカンジでキツい造船所ですが、一緒に仕事した同僚や職人さんたちには魅力的な人が多かったのも事実。一見怖そうに見える職人さんも色んなバックボーンがあって話してて面白いし、「シュンさん、そんなんも出来んのかw」と言いながら仕事のやり方も教えてくれる。外国人も多く、プレゼンで人前で話すとき等に緊張しなくなったのは、一緒に働いてたフィリピン人から教えられた一言が大きいですね。
そんな毎日を送ってたある日、コンビニで困ってた造船所勤務のフィリピン人を助けたのが国際協力に興味を持った原体験です。退職した理由は色々ありますが、1つにはNPO活動をしたい、というのもありました。
退職する旨を伝えた上司は「オマエが決めたことならそれでええけど、みんな(課の同僚)には自分から言えよ」と。最初に話した相方には「辞める」ことを伝える前に、工場の中でボロ泣きしちゃったなあ。後から随分ネタにされましたw 記者時代、NPO時代もそうですが、まわりに恵まれてたなあ、と思います。
ぼくは造船所から離れて別の道を歩んでいますが、やっぱりむかしからある地元の産業なので大切にしたいものの1つです。TEDでミュージシャンのスティングがいいこと言ってます。
ただ 今までの作品を見てこう思いました 一番出来の良い作品は 自分についてのものでは無く 他の誰かについての 作品だったんじゃないか? ひょっとして自分の傑作たちは 自分のエゴから離れて 自分自身の物語を語る事を止め 誰かの物語を— 声を持たない誰かのことをー 親身になって その人の事を考えてみたり その人の視点で世界を見たりした時に 生まれなかっただろうか?
再び曲を作りはじめられたわけ ―― スティング/TED
造船所からはじまるOne World
青年海外協力隊としてドミニカに派遣される前の駒ヶ根訓練所時代、所長と話す機会がありました。そのときぼくは協力隊参加の先にあるものの1つに「造船所の未来について考えていること」を話しました。それは、いつの日か地元の造船所で宇宙船が造られること。これにはさすがの所長も「あなたみたいなことを話す人は初めてだ」とのお言葉。
ロケットやスペースシャトルのその先の未来に、より大量に人や物資を宇宙に運ぶ輸送手段が実現されたとき、そこに「船」というキーワードが出てくると思うのです。それを「造る」「場」が造船所だろうと。そのとき、地元に造船所があったらスゴイな、と。
日本は人口減少の問題を抱えていますが、現在のように外国から労働力を受け入れることで巨大な船を造っていくことは可能でしょう。そこに日本人が持つ丁寧さや正確性を加えれば、文化を超えて「宇宙に行く」という1つの目標を達成できると思うのです。溶接ミスで空気漏れとかシャレにならないでしょうし。ひとはひと以外のものに立ち向かうときに、肌の色や思想、文化を超えて1つになれると思っています。今は考えられないかもしれませんが、7世代先くらいだと割と現実味があるのではないでしょうか。
そんなことを考えながら、造船業界のウォッチを続けていきます。