フラットな関係の中にも役割はある
任期も残り4ヵ月を切ると自分の直前の隊次(JICAボランティアは現在、3ヵ月毎に年4回、世界各国に派遣されています)が帰国するので、寂しさも一入。自分の前後の隊次というのは他の隊次とはまたちょっと違った思い入れがあります。彼ら・彼女らを見るにつけ、本当に勉強になる。
日本での経験や知識、人脈などは
レゴブロックの一つ一つのピース
のようなものだ。
多くのピースを自前で持っていれば、
いち早く、キレイな形、より大きな形を作れるかもしれない。
でも、
それは日本人から見て、キレイな形、の恐れもある。
いざ、星型を作ってみたけど、
実は住民が求めていたものは丸型だったり。
そうなると、もうピースは合わなくなる。
その時、
「日本はこうやっているんだ! これが正しい形なんだ!」となるか。
「じゃあ、違うパーツを探して丸に近づけるか!」となれるか。
もしかしたら、経験がないからこそ、柔軟な発想が出てくるかもしれない。
そうなるともう、年齢なんて関係がない。
―― ココナッツの樹の下で/【vol.469】適期=裸の自分で勝負を挑む
これって、対現地住民だけでなく、ボランティア同士でも同じ。「JICAボランティア」という1つのコミュニティを形成するメンバーは、育ってきた環境も、働いてきた組織も違います。ぼく自身、年齢も隊次も関係なくフラットだと思っているのですが、1つだけ言わせて貰えれば、「後の隊次より長く活動していることの役割」は大切だと思っています。
その役割は「恩を送ること」。
ぼくを「仕事としてのボランティア業界」に引き入れてくれた人から教わった言葉です。
このご恩は次へ。「恩送り」を感じずにはいられません。どこの誰とも知らない私達に明るく気さくに接していただき感謝!こうして遍路文化は人の温かさを介して1200年以上も続いているんだと一人納得。
―― いよココロザシ大学学長日記/おせったいを受ける。
先の隊次にして貰ったことは、後の隊次へ。2年間という限られた時間の中で、次々と入れ替わっていく自分の前後の隊次ボランティアに、何をリレーしていくのか。
分けて、増やそう。
そういうことを考えながらも、最近は特に自分の後の隊次にお世話になることが増えてきました。もう若くないので、色々と世話がかかるようになってきました。すまんね、みんな。
それで、ふと思ったんです。
「2年間の任国生活」という限られた時間・空間て、まるでポケットのようだと。
ポケットの中身って、なかなかじっくりとは見ないじゃないですか。何を入れているかは把握してても。―で、けっこうゴチャゴチャしてたり。
そのゴチャゴチャした中の1つが自分で、色んな人と恩を受けたり送ったりしてる。次に繋いでいくんじゃなくて、お互いに繋がって共有していく。いま風に言うと「シェア」なんですが、スペイン語だとcompartir(コンパルティール)。
恩を送るんじゃなくて、恩をコンパルティールしていく。名付けて「恩パルティール」!
・・・すみません。久々の更新、コレが言いたかっただけです。
でもね、「ふしぎなポケット」も歌ってますよ。
ポケットのなかにはビスケットが1つと!色々ある2年間ですが、その色々がある度に「恩」が増えていくポケットの中(任国生活)だといいな、と。
ポケットをたたくとビスケットは2つ
:
たたいてみるたびビスケットはふえる
そんな不思議なポケットがほしい
こういう風に思えるようになったのも、ここドミニカ共和国では当たり前の「分け合う文化」に触れたからだと思います。4つしか入ってないオレオも、仲良く分け合います。
ちなみに「ふしぎなポケット」の歌詞について、むかしは「それって、ただ割れてるだけで増えてないじゃん!」と考える可愛くない子どもでしたが、まあ、今も可愛くないことに変わりはありません。