日本を発つ直前にメーカー保証期間内だったので新品に交換して貰って持ってきたのですが。
ダメ元でもやってみる
先日の記事でiPhone奇跡の生還を書きましたが、持ってきたタブレットは3年も4年も前の日本国内モデル。
さすがにドミニカでも直せる(代替部品がある)とは思えない。
ならばいっそのこと、自分でバラシて中身を見てみよう!と。
へー、こうなってたんですね。
割とシンプル。
割と器用なドミニカ人
先日、他の隊員の活動を見学したのですが、そこで改めて気付いたのがドミニカ人の器用さ。
初めて使うであろうお箸で、中学生が「お豆をつかんで別のお皿に移す」ことに成功していました。
そう、「見よう見まね」は得意なんです。
カラテも適当に「型」みたいなことをしてくるし(カンフーみたいな動きだけど)、おそらくアニメのナルトで観たであろう忍術の「印」も、実にそれっぽく披露してくれる。
自分が「こう」と思ったことを、自分なりの方法で思いっきりやってみる。体験してみる。
(このへんの度胸というか、自己表現は今の日本人に足りてない)
このコピー能力があるおかげで中進国まで発展を遂げてきたと、ぼくは見ています。
しかし、コピーはコピー
とは言え、コピーしているばかりではオリジナルに勝てません。
基本的に全て劣化コピーです。
炭酸飲料も大手メーカーと同じようなラインナップをしていますが、味が雑。
パスタもエグ味がある。
なんとなくソレっぽく仕上げてるだけ。
何より不安を煽るのが、建設途中のビル。
首都の高層ビルはきれいに塗装されていますが、工事現場を見ると「こんなに細い鉄筋で大丈夫?」「コンクリートの密度、問題ないの?」とか思ってしまします。
表面的に取り繕えていればOK、という文化に思えて仕方ありません。
ぼくはこの国に来て3ヵ月経った頃から「見栄と間に合わせの文化」と呼んでいます。
コピーよりもメモを取ろう
それでも幸せそうに暮らしているドミニカ人を見れば、日本の様に全てをキッチリする必要もないとも思っています。
じゃあ、ぼくがここに居る意味は?と聞かれれば、「改善」と答えます。
よく、日本人は他国のものを取り入れて改善することに長けていると言われますが、ドミニカで何か改善されているものを未だに見つけられていません。
でも、日々の動きのなかで「どうすれば良くなるか?」は、なかなか話し合われている場面に出くわさない。
改善のミーティングも話し合って終わり。
メモも取らない。
で、次には忘れてる。
そんなパターン。
まずはメモを取る。
そのメモを失くさない。
メモを取って活用する「体験」が足りてない。
そこらへんから改善していかないと、と思う次第。
体験があれば、そこから彼ら・彼女らなりのコピーが生まれるだろう、と。
参加型環境教育が提供する「体験」も同じ。
何でも直せるドミニカだから、きっと自然環境も治していけるだろうと期待して。